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内容紹介

大学受験に失敗した少年が、とあるさびれた喫茶店のなかでぼんやりしていると、怪しげな風体の男が現れる。その後、人生の目標もなく優柔不断で自分では何も決められない少年の心に何が起こるのか――。


学ぶとは何か。その男は、少年の心に決して消えない火を灯す。

思うに、人が本当の意味で「学ぶ」意味について知るのは、学生の自分ではなくずっと後の話であるように思います。
社会人となり毎日の喧騒の中で、ふと振り返ると「ああ、あの時、なんでもっと勉強しなかったのかなあ」という後悔や、年齢を重ねてから手に取った参考書に思いの外熱中してしまうという経験も、少なからずやある方もいるのではないでしょうか。

何せ学生時分と言えば、勉強をすることがもはや義務とされている訳ですから、その知識・経験が将来に一体何の役に立つかも分からないまま、ひたすら勉学に励むのです。(勿論、励みませんでした)
何故勉強をしているかと問われれば漠然と「良い大学に行く為」という返答が返ってきたとしても、不思議ではありません。しかし、これこそ手段が目的に入れ替わった瞬間であるとも思います。

恐らく、歳を重ねていった時、学習の重要性に気付くのは、単純に目標を達成する為に必要な知識であることを知ったからではないかと。
「海外でこんなことをしたい」と思えば、英語は必須ですし。
「プログラムでこんなことをしたい」と思えば、ロジックには数学知識は不可欠です。
そういった学ぶことの必然性という意味では、最高学府たる大学機関というのは、そもそもその目的を達成する為の場所である筈ですが、昨今では義務教育が如く、「とりあえず」という生ビールかよといった具合に入学されるので、本当に意味がある学業を成せるかどうかは、やはり本人次第ということですね。



という訳で、本作「憂春の光芒」であります。<長いよ!


本作の主人公「流康高(ながれ やすたか)」はそんな受験戦争に敗北し、浪人になることを余儀なくした青年の物語です。
この先どうすればいいのか、ただ漠然とした焦燥感に駆られる彼の前に不思議な男「ヤン」が現れます。
ヤンは流のノート(彼は現実逃避に詩を書くことがあり、その作品が書かれていた)を手にとって一読すると、いきなり「自分の家にこないか?」と誘います。
一度は断る流ですが、"このままでいいのか"という自問自答の中で、最後にはヤンの家に行くことを決意します。
そして始まるヤンや、彼の一癖も二癖もある仲間たちとの共同生活。
その中で、かつて自分を苦しめていた焦燥感に対するとその根本的な問題について悩み、考え、そしてヤンの数々の言葉から、彼なりの結論を導き出します。


結論から言えば、これは主人公 流康高の成長の物語とも、あるいは、現代の「学校・受験制度の為の学習の愚かさ」に対する筆者のメッセージとも感じました。
それまでは、ただ学校制度の波に乗り続け、特に目的という訳でもなかった大学受験という問題に対して悩んでいた流康高に、ヤンはそれぞれの教科を例に挙げながら、その行為がいかに愚劣であるかを諭します。

正直なところ、当初、芸術家(あるいはそれに近い人物たち)を囲いながら、彼らの生き方を語るヤンのメッセージは、マイナスの意味でのモラトリアムに近い思想かと思いましたが、話が進むにつれ、むしろこれは教育思想に近いものではないかと感じました。

ヤンが文中で行う現代日本の教育・勉強のスタイルへの批判は、かなり直情的であったり刺激的な表現もあるので、読む人によっては、その言動や思想に反感を覚える方もいるかもしれません。
個人的にも、大きく頷ける事もあれば、首を傾げてしまう事もありました。しかし、その疑問こそが、逆にこの流と共に読者もストーリーに対して、大きく感情移入する要因にもなっていると思います。
これらの表現がもし意図的なものであれば、作者の無有明さんのセンス・力量の高さは推して図るべし!

そしてそれ以上に気になったのは、そんな彼の言葉を反芻しながら、成長をしていく流の姿です。

ある意味一番ハラハラしました。

ヤンの言葉に一つまた一つと姿を変えていく流の姿は、達観し成長していく様にも、カルト教に身を捧げていく様にも思え、彼がその先でどんな結論を出すのか、非常に緊張しながら読んでおりました。


勿論、彼が導き出した結論は、本作でお楽しみください!



作家さん情報

作者名:無有明

公式ツイッター:@akiramuyu
公式ブログ:無有のブログ


憂春の光芒

憂春の光芒 [Kindle版]
著者:無有明
(2013-01-28)